夫の役を演じていたら、本当の夫になっていた

夫の役を演じていたら、本当の夫になっていた

By 加藤 麻衣

romance · 2026-04-23

白石凛は父の会社の倒産を救うため、高柳蓮から契約結婚を提案される。莫大な金額と引き換えに、一年間彼の妻を演じることを決意する凛。しかし、その瞬間、元婚約者の榊原悠真が現れ、事態は急展開を迎える。

第1章

夫の役を演じていたら、本当の夫になっていた

「白石さん、君には価値がある」

銀座の喧騒が、シャンパンの泡のように弾ける。高級クラブ『ル・シエル』の一室、煌びやかなシャンデリアの下で、高柳蓮はそう言った。彼の声は低く、しかし確信に満ちていた。高柳グループのCEO、冷徹なビジネスマンとして知られる男が、私、白石凛に、一体何の価値を見出したというのだろうか。

父の会社が倒産寸前だと知ったのは、一週間前のことだった。長年、父を支えてきた古参の社員が、涙ながらに告げた。「もう、どうすることもできません。白石の屋号は、消えるでしょう」と。

その時、私は覚悟を決めた。何としてでも、父の会社を、家族を守らなければならない。そのためには、どんな手でも使う。

「価値、ですか?」私は平静を装い、グラスを傾けた。安物のワインが、喉を焼くように熱い。

高柳は、薄く笑った。「君の美貌、教養、そして……過去。全てが、私にとって都合が良い」

過去? 私の過去に、一体何があるというのだろう。胸騒ぎがした。

「君に提案がある」高柳は、グラスを置き、身を乗り出した。「私と、契約結婚しないか」

彼の言葉は、あまりにも唐突だった。まるで、悪夢の始まりを告げる鐘の音のように、私の鼓膜を震わせた。

契約結婚。

その言葉が意味するものを理解するのに、時間はかからなかった。高柳は、私を妻として、彼の目的のために利用しようとしているのだ。

「メリットは?」私は、震える声を必死に抑えた。

「白石家の負債は、全て私が肩代わりする。そして、君には高柳グループの株を譲渡する」

莫大な金額が、私の目の前に積み上げられていく。それは、父の会社を救うだけでなく、私の人生を大きく変えるほどの力を持っていた。

「デメリットは?」

「一年間、私の妻を演じてもらう。公の場では常に寄り添い、良き妻として振る舞うこと。そして……」高柳は、私の目をじっと見つめた。「私に、嘘をつかないこと」

嘘をつかない? そんなことが、私にできるのだろうか。私は、今までどれだけの嘘をついて生きてきたのだろうか。

迷っている暇はない。父の会社は、刻一刻と破滅へと向かっている。私は、覚悟を決めた。

「……分かりました。お受けします」

高柳は、満足そうに頷いた。「賢明な判断だ」

その時だった。

「凛……?」

聞き覚えのある声が、背後から響いた。振り返ると、そこに立っていたのは、信じられない人物だった。

榊原悠真。私の、元婚約者。

彼は、一体なぜ、ここに?

悠真の瞳には、信じられないものを見るような、深い悲しみが宿っていた。そして、その視線は、高柳と私を交互に見つめた後、凍り付いた。

「これは……一体、どういうことだ?」悠真の声は、震えていた。

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