仮面舞踏会の告白、そして裏切り
Chapter 3 — 硝子の瞳に映る、偽りの涙
父の書斎のドアがゆっくりと開いた。そこに立っていたのは、予想外の人物――如月グループの現社長であり、私の父、如月浩一だった。
「……父さん?」
息を呑む私の目の前で、父はやつれた顔で書斎に入ってきた。いつもは威厳に満ちたその姿が、今は脆く崩れ落ちそうに見える。数ヶ月前、事故で急逝したはずの父が、なぜここに?
「紗良……お前、一人で……」
父の声は震えていた。その目は、信じられないものを見るように私を捉えている。
「父さん、どうして……? 事故は……」
「事故ではない」父は静かに、しかし確固たる声で言った。「あれは、仕組まれたものだ」
父の言葉に、心臓が警鐘のように鳴り響いた。仕組まれたもの? 誰が、何のために?
「誰が……?」
「すぐに分かる」父はそう言うと、私の手元にあった封筒を指差した。「その封筒……それは、お前の父が残したものか?」
私は頷いた。父が亡くなる前に、私に残してくれたもの。開ける勇気がなく、ずっと手にしていた。
「開けろ、紗良。そして、真実を知るのだ」
父の言葉に促され、震える手で封筒を開けた。中には、数枚の写真と、走り書きされたメモが入っていた。写真には、父と、見知らぬ男が一緒に写っている。そして、メモにはこう書かれていた――「全ては、お前を守るためだ。奴らの餌食になるな」
奴ら? 誰のことを言っているのだろうか。そして、父さんは私を守るために、あの「事故」を偽装したというのか?
「父さん……この男は誰なのですか?」
父は写真の男を一瞥し、苦々しい表情で言った。「かつての、私のビジネスパートナーであり、敵だ。奴は、如月グループの力を利用して、さらに大きな野望を抱いていた」
「野望……?」
「そうだ。そして、その計画のために、私を排除しようとした」父は、私の肩に手を置いた。「だが、私は死んだふりをした。お前を、奴らから遠ざけるために。そして、お前が一人で戦わねばならない時に、この真実を伝えられるように」
父は、私のことをずっと見守ってくれていたのだ。私の身を案じて、あえて姿を現さなかった。その深い愛情に、涙が溢れそうになる。
「でも、なぜ今……? 岳と渚の裏切りが……」
「岳と渚……」父の顔に、怒りが浮かんだ。「奴らも、その男の駒だ。お前が、私に忠実な人間を頼ることを恐れていたのだろう。だから、最も信頼していた二人に、お前を絶望させるよう仕向けた」
そうだったのか。岳の「お前の為だ」という言葉も、渚の冷酷な計画も、全ては私を孤立させ、無力にするための芝居だったのだ。
「しかし、お前は立ち上がった。それでいい。お前は、私の子だ。決して屈しない」父は、私の目をまっすぐに見つめた。「だが、油断するな。奴らは、お前が思っている以上に狡猾だ。そして、お前の味方だと思っていた者たちも、いつ裏切るか分からぬ」
父の言葉に、身が引き締まる思いだった。頼れると思っていた岳が、親友の渚が、皆敵だったというのか。
「父さん、私はどうすれば……」
「お前には、まだ力がある」父は、書斎の隅にある大きな地図を指差した。「この地図に記された場所へ行け。そこには、お前を助けてくれる者がいる」
地図には、都内のある廃墟のような場所が記されていた。
「父さん、ありがとうございます。でも、父さんも一緒に……」
「私は、ここでお前の助けを待っている」父は、私の頭を優しく撫でた。「お前が、あの男を倒し、如月グループを取り戻すのを、見守っている」
父の言葉に勇気をもらい、私は決意を固めた。父さんの為にも、そして、私自身の為にも、必ずこの手で全てを取り戻してみせる。
「分かりました。必ず、成功させてみせます」
父は満足そうに頷き、書斎のドアへ向かった。「急げ。奴らが、お前の存在に気づく前に」
父が書斎を出て行こうとした、その時。
「お父様! どちらへ行かれるのですか!」
背後から、聞き慣れた、しかし今は憎しみしか感じない声が響いた。
「……渚?」
振り返ると、そこには桜井渚が立っていた。その手には、一見すると無害な、しかしどこか不穏な空気を放つ注射器が握られていた。
「まさか、この私が、お父様がまだ生きているとは思いませんでしたわ。でも、残念でしたね。この秘密は、ここで終わりです」
渚は冷たい笑みを浮かべ、注射器を構えた。父さんは、私を助けるために、あえて姿を現したのに……!
「父さん! 逃げて!」
私は叫んだが、父さんは動かなかった。いや、動けなかったのかもしれない。渚の背後には、さらに数人の屈強な男たちが控えていたからだ。
「紗良ちゃん、あなたもですよ。お父様と一緒の道を行きましょう」
渚は、注射器を私と父さん、両方に向けてゆっくりと近づいてくる。
「やめなさい、渚!」父さんが叫んだが、渚は聞く耳を持たない。
「さあ、眠りなさい……永遠に」
渚の指が、注射器のプランジャーを押そうとした、その瞬間――
「待て!」
背後から、力強い声が響いた。私は、父さんと渚、そして注射器を握る渚の顔を、順番に見た。そして、声のした方向へ、ゆっくりと振り返った。
そこには、意外な人物が立っていた。それは、あの時、岳からの伝言を届けに来た、見慣れない男だった。しかし、その男は、どこか見覚えのある……。
「お前は……!」
渚が驚愕の声を上げた。その男は、渚の顔を冷たく見据え、静かに口を開いた。
「彼女に、手を出すな」