お正月だけの彼氏を、レンタルしました

Chapter 3 — カフェテラスの沈黙と、黒い宝石

表参道のカフェテラスに、気まずい沈黙が流れた。

「…陽菜さん、この方とどういうご関係で?」

成宮美咲の声は、氷のように冷たく、それでいて鋭く陽菜を射抜いた。隣に座る八神駿は、表情を変えずに、ただ静かに美咲を見つめている。

陽菜は、息を呑んだ。まさか、こんなところで母親の長年のライバルである美咲に会うなんて。しかも、よりにもよって、駿との「偽装婚約」の話をしている最中に。

「美咲さん…これは、その…」

言葉に詰まる陽菜の代わりに、駿が静かに口を開いた。「成宮様。陽菜とは、高校時代からの旧知の仲です。少し、昔話に花を咲かせていただけですよ」

駿の声には一切の動揺がなく、まるで長年の友人同士が偶然再会したかのような自然さがあった。しかし、陽菜は知っている。彼の言葉が、すべてではないことを。

美咲は、駿の言葉に眉をひそめた。「旧知の仲…? それにしては、ずいぶんと親密なご様子ですが。それに、椎名家の令嬢が、このような場所で、あまりにも…」

彼女の視線は、陽菜の頬に落ちた。先ほど、駿が陽菜の髪に絡まった小さな埃を取ってくれた時の、ほんの一瞬の触れ合い。その些細な仕草さえも、美咲は見逃さなかったのだ。

「…私事で、お騒がせいたしました」陽菜は、努めて平静を装い、深々と頭を下げた。「お母様によろしくお伝えください」

美咲は、陽菜の言葉に満足したのか、あるいは何かを探るように、もう一度駿と陽菜を交互に見つめた後、踵を返した。「…そう。では、ごきげんよう」

美咲が去った後、陽菜は全身から力が抜けるのを感じた。心臓が、激しく脈打っている。

「助かりました、駿さん」

「いや、私は事実を述べたまでですよ」駿は、カップに残ったコーヒーをゆっくりと啜った。その瞳の奥に、先ほどとは違う、何か冷たい光が宿っているように陽菜には見えた。

「それにしても、あの成宮美咲さん、随分とあなたを気にされているようでしたね」

「…母の友人です。私のことなど、どうでもいいはずなのですが…」陽菜は、美咲の鋭い視線を思い出し、かすかに身震いした。

「そうですか。では、本題に戻りましょうか」駿は、カップを置くと、陽菜の目をじっと見つめた。「私の『条件』について、聞きたいのでしょう?」

陽菜は、頷いた。そうだ、あの話があったのだ。美咲が現れる前、駿は「条件」について話そうとしていた。彼女の登場で、すべてが中断されてしまった。

「私の条件は、一つだけです」駿は、ゆっくりと、しかし確信に満ちた口調で言った。「陽菜さんには、私以外の男性と、二度と会わないでほしい」

「…え?」

予想外の言葉に、陽菜は息をのんだ。それは、偽装婚約の「条件」として、あまりにも唐突で、そして…独占欲に満ちた響きを持っていた。

「もちろん、それはあくまで『婚約者』としての建前ですが」駿は、陽菜の動揺を面白がるように、わずかに口元を緩めた。「しかし、私としては、建前以上の意味合いで、そうあってほしいと願っています」

陽菜は、駿の言葉の意味を咀嚼しようとした。建前以上の意味? それは、一体どういうことだろうか。彼の真意が、さらに掴みどころのないものになっていく。

「…なぜ、そんなことを…?」

「それは…」駿は、言葉を切り、陽菜の指先に、そっと自分の指を重ねた。彼の指先は、驚くほど冷たかった。「君が、私のものになるからです」

その瞬間、陽菜の視界の端に、カフェの入り口に立つ人影が映った。見慣れた、しかし今は決して会いたくない顔。そして、その隣に立つ、もう一人の女性。

「あら、陽菜ちゃん。こんなところで会うなんて、偶然ね」

現れたのは、陽菜の母親、椎名香織だった。そして、その隣には、見知らぬ、しかしどこか棘のある微笑みを浮かべた若い女性が立っていた。

陽菜の心臓が、喉元までせり上がってくるのを感じた。母親の登場だけでも動揺なのに、その隣にいる見知らぬ女性は一体誰なのだろうか。しかも、彼女の目は、陽菜の指に重なる駿の手に、じっと釘付けになっていた。