元カノの前で、彼女のふりをしてください

Chapter 3 — 震える指先、偽りの誓い

個室の空気が凍りついた。皇直樹の顔には、先ほどまでの余裕は微塵もなく、深い驚愕と、それに続く冷たい怒りが浮かんでいた。颯太が差し出した箱の中身――それが何であるかは、瑠璃にもまだ明かされていなかったが、皇の反応から、それがただ事ではないことは明らかだった。

「これは…一体どういうことだ、桐生さん」

皇の声は静かだったが、その静けさの中に嵐の前の静けさを思わせる迫力があった。瑠璃は、皇の視線から逃れるように顔を伏せた。颯太の突然の登場、そしてこの箱。すべてが、彼女の予想を遥かに超えていた。

「さ、颯太君は…その…」

言葉に詰まる瑠璃の代わりに、颯太が口を開いた。彼の目は、皇を真っ直ぐに見据えている。

「俺が、瑠璃の新しい彼氏です。そして、これは…彼女からの、あなたへのプレゼントです」

「プレゼント…だと?」

皇は嘲るように繰り返した。その顔には、侮蔑の色さえ滲んでいる。「偽りの恋人」という設定すら、この状況ではお伽噺に聞こえた。颯太が、瑠璃の母親との縁談を壊すために、ここまで強引な手段に出るとは。しかし、箱の中身が皇に与えた衝撃は、単なる縁談阻止の手段としてはあまりにも大きすぎた。

「彼女が、あなたに、こんなものを…?」

皇は箱を指差した。その指先は微かに震えているように見えた。瑠璃は、颯太の肩にそっと手を置いた。彼女の心臓は激しく脈打っていた。颯太は、なぜここまで自分を、そしてこの縁談を壊そうとするのか。そして、この箱の中身が、皇をそこまで動揺させるほどのものとは、一体何なのだろうか。

「そうよ、皇さん。これは、私からのプレゼント。…あなたには、もう必要のないものだから」

瑠璃は、震える声で言った。彼女の目は、颯太の顔を盗み見た。颯太は、彼女の言葉に頷き、力強く瑠璃の手を握り返した。その温かさが、一瞬、瑠璃の不安を和らげた。

「必要のないもの…ね。面白い」

皇は立ち上がった。彼の顔には、もはや驚愕の色はなく、冷徹な計算が浮かんでいた。「プレゼント」の真意を理解したかのような、あるいは、新たなゲームの始まりだと捉えたかのような、そんな表情だった。

「桐生さん、黒崎さん。今日のところはこれで失礼させてもらう。だが…」

皇は瑠璃に視線を戻した。「この話は、まだ終わっていない。むしろ、ここからが本番だろう」

そう言い残し、皇は部屋を出ていった。残されたのは、瑠璃と颯太だけだった。

「颯太君…」

瑠璃は、颯太に向き直った。彼の顔には、安堵と、そして、まだ消えない決意の色が浮かんでいた。「どうして…ここまでしてくれるの?」

颯太は、瑠璃の頬にそっと手を伸ばし、優しく微笑んだ。

「君を、守りたいからだよ、瑠璃」

その言葉は、あまりにも優しく、あまりにも真剣だった。瑠璃の胸に、熱いものが込み上げてくる。颯太の指が、彼女の涙の跡をそっと拭った。

「でも、私…」

瑠璃が何かを言おうとしたその時、部屋のドアが勢いよく開いた。そこに立っていたのは、先ほど部屋を出ていったはずの皇直樹だった。彼の片手には、先ほど颯太が提示した、あの「プレゼント」が入っていた箱が握られていた。

「もう一つ、君たちに伝え忘れていたことがある」

皇の声は、先ほどよりもさらに冷たく響いた。瑠璃と颯太は、凍りついたように彼を見つめた。皇の目は、二人を交互に見つめ、そして、ゆっくりと口を開いた。

「この『プレゼント』、確かに受け取った。だが、それは君が思っているような意味ではない。…これは、俺と、君の母親との…『婚約の証』だ」

皇の言葉は、まるで雷鳴のように瑠璃の耳に響いた。婚約の証? 母との? 颯太は、驚愕の表情で皇を見つめている。瑠璃の頭の中は、真っ白になった。状況は、予想もしなかった方向へと、さらに、さらに悪化していく。